林田まちなかあるき

夏にはホタルが飛ぶなど豊かな自然が残る「歴史街道のまち 林田」は、林田大庄屋旧三木家住宅や林田藩藩校 敬業館講堂だけでなく播磨国風土記にその名をみることができるなど、歴史的にも貴重な遺構・神社仏閣が数多くあります。そんな「林田まちなかあるき」ぶらりと歴史散策してみませんか?

   

八幡神社(はちまんじんじゃ)

寛平5年(893)5月に林田八ヶ村の有志36人が国土安穏・子孫繁栄のために京都山城の石清水八幡宮から八幡の神を迎えて創建したと伝えられています。江戸時代には林田藩主建部家が10代250年に渡り、産土神(うぶすながみ:生まれた土地の守護神)・祈願所として崇敬し、3代藩主 政宇(まさいえ)・7代藩主 政賢(まさかた)・8代藩主 政醇(まさあつ)が奉納した灯篭が3つ並んでいます。秋にはもみじが参道を彩り絶景です。

佐見山城跡(さみやまじょうあと)

佐見山城跡は、林田川東岸の「城山」と呼ばれる標高189・5mの山頂にあり、築城年代は不明ですが、江戸時代は奥佐見村(おくさみむら)に含まれ、西麓には八幡神社が鎮座しています。城山は均整のとれた円錐形をしており、背後の北側には葛城山(かつらぎさん)があります。
山頂部には約10mの円形状の削平地が造られ、その西方向と南東方向に三段程度の小さな削平地と石積みが数箇所残っています。自然地形を利用した小規模な砦状の城跡です。
山頂からは、西麓の因幡街道を見通すことができ、南麓の道は林田伊勢を経て、夢前町赤松氏の本城「置塩(おじお)城」に通じており、交通の要地であったと考えられます。
「赤松家播備作城記(ばんびさくじょうのき)」に「佐見山城 天正8年(一五八〇)羽柴秀吉攻宍粟宇野時之付城(つけじろ)也」と記され、飾磨区の英賀城を包囲した秀吉は手兵の一部を宍粟郡の宇野氏攻めに差し向けています。秀吉軍が、宍粟郡と揖東郡の境目である安富町狭戸(せばと)で戦いがあった「長水軍記」と伝えており、松山城とこの佐見山城は宇野攻めの足がかりとなったようです。

山頂からの展望はすばらしく、眼下には林田の田園が広がり、因幡街道(国道29号線)沿いの町並みが一望でき、空気の澄んだ快晴の時は、山並みの隙間に播磨灘を見ることができます。

祝田神社(はふりだじんじゃ)

平安時代中期、927年完成の延喜式(律令の施行細則)に「祝田神社」の名が見え、「式内社」とよばれて古い歴史を持つ神社です。寛治7年(1093)に林田が京都の上加茂神社の荘園となった時、貴船神社の祭神 髙龗神(たかおのかみ)を迎え、当初から祀っていた罔象女命(みずはめのみこと) と共に祀ったので「貴船神社」または「貴船大明神」と呼ばれていました。建久3年(1192)に社殿を再建した時に社号を「貴船神社」とし、罔象女命(みすはめのみこと) を祀った祝田神社はその奥宮に祀られましたが、明治11年4月に焼失し、再建時に祝田神社と改称しました。
寛文11年(1671)の「神田神社記」には、創立年代を不詳としながら、「日本武尊(やまとたけるのみこと)が熊襲征伐(くまそせいばつ)の時、播磨洋(灘)で台風に遇い当社の二神に祈って難を避けた故事から土地の人はこの神を崇めその霊験は大変あらたかであったことを記しています。
近年では平成18年に公開された韓国映画「風のファイター」のロケ地になりました。

楡の並木(にれのなみき)

林田川沿い(宝塔寺前)の土手に茂る楡の古木です。和銅6年(713)に創られた「播磨国風土記」の中には、『林田の里はもとは談奈志(いわなし:楡の古名)と呼ばれていました。そのわけは伊和の大神【大国主命(おおくにぬしのみこと)】がこの地を召された時、御志(みしるし:目印の杖)を突き立てるとその御志は楡の木になったからです。』と記されています。林田は神話の里でもあります。

長谷川家住宅(非公開)

弘化5年(1848)に建築された長谷川家住宅は平成5年に姫路市の都市景観重要建築物に指定されました。姫路から山崎に通じる因幡街道の宿駅として栄えた林田街道筋の雰囲気を残しています。

道林寺(本堂内部非公開)

貞享2年(1685)に前身の観音堂から真言宗の修行道場となり、享保年間に順正により開基しました。山号を月輪山(がつりんざん)といい、清閑な地で林田八景の一つに数えられています。寺内には敬業館教授で芳野懐古の漢詩で知られる河野鉄兜の墓碑があります。また、文政6年(1823)の石鳥居があり、当時の神仏混淆(しんぶつこんこう:神社と寺が入り混じった状態)の名残りを今に伝えています。

※林田八景
八幡神社と祝田神社に奉納された絵馬ですが、原画であろう八景画が今も残っています。八幡神社の八景は天保10年(1839)に林田町六九谷の高梨家が奉納しました。祝田神社の八景は八幡神社と絵師が同じであることから当時の8代藩主 政醇(まさあつ)あるいは高梨家によって同時期に奉納されたのではないかとされています。
絵馬に書かれた和歌と詠者はまったく異なり、八幡神社の八景は大名の名であり祝田神社の八景は公家の名です。共に天保期に実在する人物ですが、 公家と大名を詠者とする詩歌は播磨地方においては一例もなく、林田八景の大きな特色です。

林田藩 陣屋跡

陣屋跡が残る聖ヶ岡(ひじりがおか)は、通称 御殿山とよばれ、建部氏の林田藩一万石の陣屋があったところです。現在では石垣や堀の一部と初代藩主 建部政長(まさなが)を祀る建部神社が残っています。当時は聖ヶ岡の周りに濠をめぐらし、東側は二重濠で、濠の外は侍屋敷、東側の街道筋は町屋がありました。

塩阜神水(しおおかしんすい)

播磨国風土記に記載があり、海から3里(約12km)離れているが、3寸(9cm)ばかりの湧き水が海水と同じ満ち引きをすると伝えられています。碑の側には、旧龍野藩主 脇坂安之氏の歌碑があります。
八幡神社・祝田神社の秋祭りには、神事「潮かきの儀」がここで執り行われます。

薬師寺と芭蕉の碑

林谷にある薬師寺は寛文11年(1671)に僧澄光が開基しました。寺内には京都の池田屋事件で倒れた大高又治郎をはじめ旧藩士の墓が多くあります。また、松尾芭蕉の句碑があり三角錘状をした安山岩の自然石で造られています。
広島藩士 片山主水が関ヶ原の合戦に向かう途中身寄りを訪ねてきたが見当たらず、仕方なく薬師堂に我が子を残して行った戦場の地で美女が現れ我が子に授乳している夢を見ます。帰途、立ち寄った薬師堂で乳のおかげで子どもは元気に育っていたという乳薬師の伝説があります。

芭蕉句碑
(表)降すとも 竹うゆる日は 蓑と笠 はせを(芭蕉)
(裏)今もその しづくしとうや 時雨蓑

素麺濫觴之碑(そうめんらんしょうのひ)

江戸時代末期に揖保郡で素麺業が起こり、林田町でも冬の現金収入として盛んになりました。この碑は、明治20年に揖東・揖西両郡素麺製造組合をつくり、良質の麺を製造して販路を広げていった過程と素麺業に功績のあった澤野利正を讃えたものです。

西池(鴨池)と琵琶山

西池は初代藩主 建部政長が水利に苦しむ領民のために水路とともに築きました。景色の美しい西池は林田八景の一つとして数えられ、当時は建部氏の別荘もありました。このとき、西池を禁猟区とし鴨にえさを与え保護したことから地元では鴨池の名前で親しまれています。今でも冬場になると鴨が飛来しています。

白髭神社

貞亨5年(1688)に創立され、猿田彦命を祀っています。境内には、寛政9年(1797)の御神灯や明治42年に国有地字宮ヶ谷を開拓した記念碑があります。

多賀八幡神社

当初は八幡神社として、誉田別尊(応神天皇:ほんだわけのみこと)を祀っていましたが、明治39年に豊受大神を祀っていた多賀神社と合祀され、現在に至っています。

法善寺(真宗大谷派)

明応9年(1500)に大納言伴善男から16代目の孫である新左衛門尉忠長が草庵を構えたのが始まりです。

峰相山 鶏足寺跡

鶏足寺は峰相記にも記載があり、峰相山の南西斜面にあった寺です。奈良時代には大迦藍がそびえていましたが、天正6年(1578)8月、峰相山鶏足寺の衆徒が蜂起(大勢が一時に暴動・反乱を起こすこと)したので、秀吉は官兵衛に鶏足寺の焼き討ちを命じました。官兵衛は、信長の延暦寺焼き討ちが頭を過りましたが、主君の命には抗えません。太市郷民に鶏足寺に対する一揆を起こさせ、その混乱に乗じて鶏足寺を攻め、坊舎を焼き討ちにしました。
毎年8月15日に太市の破磐神社では焼き討ちによる犠牲者を弔う火祭り(奉点燈祭)が行われています。当時の為政者の目を恐れ、田の虫を追い払う農事関連の行事にカモフラージュして継続されてきたと言い伝えられています。
現在、伊勢小学校東南には字名で『大門』という地名があり、ここには鶏足寺の大門があったといわれています。

鶏足寺想像復原図

伴善男(とものよしお)の墓

大納言伴善男は平安時代の有能な政治家でした。応天門焼失の犯人として伊豆へ流罪となったというのが一般説ですが、峰相記では、播磨国に流罪となり、「彼墓所は西川合に有る也」とあります。

伝久寺

毛利元利が浄土真宗に帰依して道順と号し、永禄元年(1558)に建立して開基となりました。弘化3年(1846)に焼失し、安政3年(1856)に再建されました。

梛神社(なぎじんじゃ)

梛神社は葦原飯粒(あしはらいいほ)が梛の大木を切り倒した跡に天照大神を祀ったことから名付けられたと謂われています。境内には明治時代の伊部焼(備前焼)の狛犬があります。

伊勢自然の里・環境学習センター

子どもから大人まで、様々な世代が楽しみながら環境の保全について学習できる場として、平成16年4月24日に開設した自然体験型の環境学習施設です。この施設では、メダカやドジョウ、タガメやゲンゴロウなど、既に見ることが少なくなった生き物が生息できる環境を守り育てていくため「田んぼビオトープ」を中心とした生き物の生息空間を多様に整備するとともに、年間を通じてさまざまなイベントを開催しています。

  • 開園時間:10:00~16:30
  • 休園日:月曜日・12月28日~1月3日(但し、月曜日が祝日の場合は翌日)
  • 無料駐車場完備
  • 入園料:無料
  • お問い合わせ:079-261-3234

伊勢自然の里・環境学習センターへのリンク

姫路市はやしだ交流センター ゆたりん

深さ1,338m、約2億1千万年前の堆積岩(丹波層群)の割れ目から湧き出す天然温泉です。岩組み露天風呂・切り石露天風呂・足湯(足湯のみは無料)・サウナルーム・レストラン・売店・談話室・多目的ホール・農産物直売所など設備も充実しており、ゆたりんの南東に広がる広葉樹の森は自然環境の中でハイキングを楽しめる憩いの新エリアとなっています。
無料駐車場やレンタサイクルを完備しており、林田散策の拠点として大変便利です。散策の最後には疲れを癒す温泉にぜひどうぞ。

  • 営業時間:10:00~22:00
  • 入浴時間:10:00~22:00(受付は21:30まで)
  • 農産物直売所:9:30~16:30
  • 休館日:第2月曜日(祝日の場合は翌日)
  • 利用料金:大人 600円(回数券 3,000円/6回) 小学生 300円(回数券 1,500円/6回)
  • お問い合わせ:079-261-3770

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