土と炎が織りなす備前焼。千年近い歴史を持ち、廃れることなく続く古備前に魅せられて陶芸の道に進んだ松井宏之さんの作陶展を林田大庄屋旧三木家住宅で開催しました。
今年の林田っ子飾りは風鈴。林田こども園・伊勢保育所・山と畑のまるごと園の園児1人1人が描いた風鈴を飾りました。涼やかな音が三木家に響き渡り楽しんでいただきました。
TEL.079-261-2338
〒679-4203 兵庫県姫路市林田町中構74
昔ながらの七夕飾りが三木家の軒下になびき、風情ある景色が楽しめる林田七夕祭り。
林田七夕祭りの企画展として、『押し花アート&糸のこクラフト展』も開催しました。
押し花アートと糸のこクラフトの皆さんは、普段は『県立ゆめさきの森公園』で活動されているメンバーさんです。今回ご縁があり林田大庄屋旧三木家住宅で作品展をしていただました。花と木の自然材料を使い、童話の中から出てきたような心あったまる作品を作られています。
7月2日の三木家公開記念日にはどなたでも無料でご入館いただき、同日の押し花体験アートでは自分だけの押し花アートに時間を忘れ興じていました。
もう一度写真でご覧下さい。
郷土の偉人である『河野鐵兜』は、文政8年(1825)に姫路市網干余子浜の医を生業とする家に生まれ、5歳の時から父について漢籍を学び、15歳のとき一夜にして漢詩を100編つくりあげ、神童とよばれるなど、儒学、国学、漢詩、和歌、薬学などに秀で、特に「芳野」の詩は、全国的にも知られています。
今回は個人所有の河野鐵兜の遺墨のみならず、龍野歴史文化資料館所蔵の公式調査記録『河野絢夫先生尺牘集』他、個人所蔵の『鐵兜及其交友の尺牘』などを展示します。激動の幕末にありながら、歴史に名を連ねる人たちとの交流を読み解くことができるといっても過言ではないでしょう。当時の天皇も河野鐵兜の名を知っていたとも言われています。
また、姫路市教育委員会文化財課が所蔵する住民から寄付された物品を整理していた時に、『政宇公御手焼龍絵甲(かぶと)皿』と書かれた箱書きが発見され、その箱の中には薄手の陶器皿10枚が入っていました。政宇(1647-1715)は林田藩第3代藩主、伏見奉行・寺社奉行をつとめ伏見の大火では再建に手を尽くしました。
今回は、その『政宇公御手焼龍絵甲(かぶと)皿』のお里帰りを敢行しました。
端午の節句展も同時開催しました。
もう一度写真でご覧下さい。
三木家にご寄贈いただたいお雛様と手作りの雄雛様を中心に展示しました。
昨年、一昨年とコロナ感染症拡大により中止となりましたが、今年は最後まで開催することができました。
昔ながらの行事の展示を開催していると色々と行事の歴史を聞かれます。お雛様で多い質問が『どっちが右でどっちが左ですか?』です。
日本では、古くから向かって右側が上席とされ『男雛は向かって右、女雛は向かって左』でした。
それが、明治となり西洋文化を取り入れるようになっていき、大正天皇の即位の礼の時に国際基準に倣った並びとなる予定でしたが、皇后がご懐妊中で天皇おひとりで臨まれました。その後、昭和天皇の『即位の礼』の時、向かって左側を上席とする国際基準にならい、向かって左に天皇、向かって右に皇后が立たれたことで、それ以降のお雛様は並びを変えたと云われています。
しかしながら京都では、古くからの伝統を重んじ『京雛』として昔ながらの配置が用いられています。
色々な歴史を知ることは面白いです。
もう一度写真でご覧下さい。